今日初めて耳栓をしてニラレバ炒めをいただいた。ニラ、モヤシ、レバーなどを切ったり擦りつぶしたりする内部周波数は歯からあごの骨を伝い、頭蓋骨の振動となって大音量で耳栓の内部の鼓膜を振動させていたが其の音で特に不快感を感じ無かった。そもそも耳栓をしたきっかけにはそのレストランでの環境が原因だ。昼食にレバーを食べたいと思った事から始まり、ある町の餃子の王将で昼食をしようと入店、一階のカウンター席は満員、ふらふら自然と二階に上がり三人様用席に一人で陣取ったがそこで問題が起こる。そのゆったりと快適なテーブル真上のドロップシーリングの天井にはまった中低域がかなり貧弱な安物のスピーカーが私に嫌がらせをする。私の頭上をめがけて豪快なシャワーの様に降りそそぐその音楽とその質の事を考えてみる。そこで食事中に聞かされるはめになった音楽とは、、。その異様な価値観の上で作られたその『びんびんに元気な音楽』で耳栓抜きで食事をする気になれなかったが、その音楽に類似したそこら辺りにかかってるその分野の音楽に関して少し考えさせられる。
このブログに書くときには音楽とは関係のない題材にしようとおもっていたけどまあいっか。旅の行き先々で出会う日本人の人達に読んでもらい、それぞれ楽しんだと聞くのがうれしく、もっと書こうと思うがなかなか進まない。サブジェクトに日本語で音楽じゃない事として始めたが音楽に変わって行くのも面白いかもしれなし、別に私が代表取締役社長なのでその辺は自由勝手に決めても言い訳だが、母国語で楽しく何か私なりの考えてる事を紹介出来るのが一番の目的だろうと思うし。それで、今回注目したいのが日本での極一般的な生活で聞こえて来る環境音楽、その辺の音楽は『かなり狂って』いる事を考えてみてここに紹介してみる事にする。それは西洋ではエレベーター音楽などと呼ばれてるのかな。ホテルなどでのエレベーターで延々かかってる音楽でこれがクラシック調であったりジャズ調であったりするわけだが、この私のいってる日本式の物は少し違う。このブログにたどり着くには何らかの関係や予備知識で既に私の音楽を知っている人が主だろう。まず私が専門的にやってる即興演奏音楽にて照らし会わせてみて、進めて行く事にする。私(達)は『へんてこな音』、普通じゃないと呼ばれるかもしれない音、いわゆる特殊な音(エクステンデッドテクニック)を使ったりして、そしてそれに心を込めて演奏している訳だ。其の特殊音には工事現場の建設機材の音に似ていたり、得体の知れない未知の和楽器の音である様な無い様な音の時もある、中には生理的な音がしたりする事もあり、例えば体から発する様々な音に似ていたり、いびきの音の様である事もあるし。そしてリズムとして1234とテンポがある状態にいつもなるとも限らない訳だ、間のタイミングだけで構成したり、全くの音の肌触り感覚で音楽が進んで行ったりもする。言葉やピアノなどを判断の基調とせずそして無理矢理理解解読しようとしないでそのまま人間動物のまま感覚で楽しんでもらえると本当は言い訳だが。
私なりに考えるのが、日本の中小の町で、極標準に居るおばさんやおじさんなどがその私(達)の音楽を聞いたときに感じる事を想像したり、音楽は西洋クラシックやポピューラーな音楽(特にテレビで紹介されているもの)しか音楽と決められない人はいったい私(達)の音楽をどう思うのだろうか。彼らの多くを予想するに、まずジャンルに分けてもらえないとなかなか自己判断出来なく、不快や苦痛に感じたり、退屈したり、恐怖だったり、路頭に迷う事になると想像する。この辺に関してはそれぞれに意見や思考が有る訳なので決して私個人の意見で全体を判断するのは正しいとは限らない事をご了承して頂きたい。いろいろ長年やって来た経験上、その理解度や楽しみ度のそれぞれの違いがうかがわれるし感じれる。なかなか全員が全員楽しめる物ではない、けど、私の個人的なサービスで大体の人が楽しめる様にプレゼンテーションもして来た。そのプレゼンテーションの事は後ほどいつかこの先の機会に探ってみる事にする。リスナーの中でも芸術家(アーティスト)にもいろいろなタイプが存在する訳だけど、いったい誰がどのようなタイプが私の音楽を楽しんでるのか、そういった事を私は自然とマーケティング・リサーチしているのだろう。ぶっちゃけた話、アーティストの部類で心底で楽しんでくれるのはアングラな熱狂ヘビメタの人達じゃないかな、其の人達の特徴として、口にあまり出さないし多分すぐ忘れられそうだけど、何故か演奏後いつもアニマル同士のビシッっと感じるものが有るんです。それと全く正反対には熱心なオーソドックス・ジャズ信者にはかなり辛い思いをさせてるに違いない、、。こういう事を書くと反発も有るだろうけど、何度も言うがこれは平均を見た場合の、あくまで私の想像マーケッティング・リサーチである。リスナーやプレゼンターの中には『ジャズはちょっとした大人のおしゃれな音楽』だとふざけた事思っている人やそれをマスコミに植え付けられたそういった変な販売文句を信じてたりする人が居たり。まあそれはそれでいいんだけど、、。テレビの企業のコマーシャルにそれ自体とは関係なくはめ込んだ音楽が流行るし、気持ち悪い応援歌みたいなJ-Popが幾世代も変わらず存在する。最近テレビをみてみると演歌歌手は25年前のメンツとほぼ同じだし。やっぱりどうせならおしゃれな音楽じゃなくて何か血の騒ぐ物じゃないと、、、私はそう望みますけど。
話に戻り、その普通に生活をしている人達の持ってる価値観、先入観、共感、評価、発展性、行き先などを考えてみたい。最近、日本に戻る度聞こえて来る音楽に:百円ショップのダイソーでのそりゃまー、元気ギンギン・フュージョン音楽。コンプレッサーを通りぺったんこに押しつぶされた音にディレーなどを買う為に買ったマルチエフェクトにたまたまついて来た付録のディストーション機能の様な回路を通過した音、延々に続く品の無いソロ。それは何度も何度も、必要以上に『やけに元気にギンギン』でソロを廻ってそれが終わると立て続けにMIDIでコントロールされたリリコンなどの楽器に音色替えて、たぶん同じ人が次のギンギンゾロを奏でるのだろうかそれとも、多分コンピューターで既に打ち込んであるんで音色替えてるだけど内容は同じソロかもしれない。面白い程、全く品がない。まあ品なんてどうでもいいんだけどそれにしてもよくもここまでにも。そしてこれ、ヨドバシカメラの『たんたんタヌキの替え歌』、一日中延々に、何年も何年も何千回も何万回も何億回も繰り返し、それもうるさいと感じるギリギリのラインで結構大音量で流れてる。それで従業員や客の脳味噌を洗脳破壊していく。一度ヨドバシカメラで従業員に私、お客様の苦情として、『この音楽何とかならないですか』と冗談で言ってみたが、其の彼いわく会社の方針でこれが無いと威勢がわるいらしいんです、って。ほかにも音楽公害(?)、私の通う歯医者や公衆銭湯では、もしかしたら電力会社からの電源供給が落ちても非常用の予備電源を持ちあわせ延々再生可能な程しつこい、この世の終わりまでエンドレスでかかっていそうなオルゴール音楽。その中にはビートルズのヒット曲やうすらと聞き覚えが有る80年代の日本歌謡曲などあり、もちろんカレン・カーペンターズの邦名『この世の終わりに(かな?)』ディ・エンド・オブ・ザ・ワールドもかかってるに違いないし、その想像がつく。細かく複雑なハーモニーも見事に再現されるので其の手の職人技だがこれもかなり厄介物である。しかも勘違いに『癒し音楽』とされ、各所で私に癒せと押しつけて来るものだ。私はこんなもの癒しどころではなく、フェィクオルゴールのそれを聞くとなぜこれがここで流れてるか、何故なんだと解明しようと考察力が倍増するが、『癒し』とは静粛や無音であったり、それも出来れば生で自然の発する音であった方がいいだろうと思う。この癒しいオルゴールは本当に迷惑だ、その販売使用著作権費用なども莫大だろう。ちなみに大阪でそのオルゴールCDを制作販売し一旗揚げた奴を僕は知ってるんだが彼は悪人じゃない。他にも音楽公害に成りうる事は沢山有ると思うが日本人はそういったのが本当は好きなんだろうかと思う事があるし、それとも他にもっと科学的に歴史的に深い意味が有るのだろうか。実家で風呂が準備に音声で『湯張りします』、『後5分で風呂が沸きます』、遂に待ちに待ってました!と10秒程の祝福テーマが流れて『お風呂が湧きました』と知らせてくれる。パチンコ屋やゲームセンターの騒音にうるさいやタバコ臭いと言いながらもそのへんてこな音の場所の存在自体に疑問を湧く人は居ないだろうと考える。音と音楽は『公害』として存在する。日本の大半や『普通の人達』(日本の中小の町で、極標準に居るおばさんやおじさんなど)にはこの様な、へんてこな音と音楽を毎日平気で聞き流してる免疫がある人達であると思う。や、そう考えるとへんてこな音で食ってる私(達)の音楽、日本でそれら音楽が大流行しそうだがそうでもないらしい。いや、もしかしたらこの公害について考える余地はもっと有るに違いない。震災後の節電で成田空港では照明使用が設備の半分に節電されているが、其の影響であのギラギラと必要以上に明るい日式超強力的蛍光灯照明器具『ブライト』が目を焼き付ける事無く嬉しい。ニュースで節電の為電車内の冷房温度を高めに設定、女性の冷え性で冷え過ぎでの苦情が減ったと有った。これも私の照明公害と同じ事だ。何かのきっかけで音楽の公害が減るといいが、、、、。
2011年8月13日土曜日
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